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黄金の井戸
第三番札所 金泉寺

元は金光明寺と称していたこのお寺に弘法大師が巡錫した際、水不足に悩む住民のために井戸を掘ったところ霊水が湧き出しました。そのため大師は堂宇を建立して寺号を「金泉寺」と改めたということです。伝説の井戸は観音堂の右手の小さなお堂の中にあり、この井戸を覗いて影がはっきりと映れば長寿に、ぼやけていると短命になるとの言い伝えも。

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面影の井戸
第十七番札所 井戸寺

この地で修行した弘法大師は、水不足に苦労している村人を哀れんで、錫杖で一夜のうちに井戸を堀りました。こんこんと湧き出た清水に映った自分の姿を石に刻んだことから、この井戸は「面影の井戸」と呼ばれるようになり、寺号もこれに由来するとか。またこの井戸を覗いて自分の姿が映れば無病息災でいられるが、映らなければ3年以内に不孝が訪れるという話も。

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開運鏡の井戸
第二十二番札所 平等寺

この地で弘法大師が諸人の厄除けを祈願をしていた時のこと。雲の中から出現した梵字に薬師如来を感じた大師は供える水を求めて井戸を掘りましたが、湧き出たのは乳白色の水でした。しかし大師はその水で沐浴修行した後、薬師如来を刻んで本尊とし、平等寺を建立しました。この井戸は本堂の石段下にあり、そこから湧く「弘法の霊水」は万病に効くといわれて遠くから汲んで帰る人もいるといいます。

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大師の御加持水
第五十八番札所 仙遊寺

仙遊寺の仁王門から境内へ続く石段を少し登ったとこ ろにある「弘法大師御加持水」と呼ばれる井戸。その昔、疫病で苦しんでいた里人のために、弘法大師が錫杖で地面を突いて掘り当てたものといわれています。 湧き出した水を使って加持したところ病気は快方に向かったそうで、今もこの霊水を求めて多くの人が訪れています。

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満濃池
香川県仲多度郡まんのう町

約1300年前に作られた巨大なため池・満濃池は、度々決壊を繰り返して周囲の住民を苦しめていました。築造から120後の821年、朝廷から築池担当として派遣された弘法大師は、沙弥1人と童子4人を従えて讃岐に向かい、3年かかってもできなかった改築をわずか3ヶ月で終えてしまったそうです。満濃池そばにある神野寺には大師の像が祀られていて、今も静かに湖面を見つめています。

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弘法水

弘法大師の加持水と言い伝えられている、海から湧き出る不思議な清水。本陣川が海に注ぐ付近で見られます。また、西条市には弘法水だけでなく、たくさんの湧き水スポットが点在。「うちぬき」と呼ばれ、観光客に人気です。

■愛媛県西条市

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一粒万倍の釜
第二十六番札所 金剛頂寺

金剛頂寺の海に向かって建てられている大師堂の横に置かれている「一粒万倍の釜」という鉄製の大釜。この釜には飢饉の際、弘法大師が三合三勺の米を入れて炊いたところ万倍になって増え、その粥で人々を餓えから救ったという伝説が残されています。

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さぬきうどん
香川県

香川を代表する食べ物といえば讃岐うどんですが、こ のうどんは弘法大師が伝えたという伝説があります。大師が唐への留学から帰る際に、小麦の種とその栽培方法を持ち帰り、同時にその小麦を使った料理の製法 も持ち帰ったそうです。これは当時唐で食べられていた「こんとん」という小麦を練ったものを茹でた料理で、これが現在のうどんに発展したのではないかとい われています。

 

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母川
徳島県海部郡海陽町

徳島県の海部町に母川という川がありますが、昔は よ く日照りで枯れてしまうことが多く、村人は困っていました。この村に住む女が喉の渇きを訴える子どものために、遙か遠くの谷まで水を汲みに出かけました。 水を汲んだ帰り道、女は出会った僧に水を分けてくれるよう頼まれます。子どもの喉を潤すための水ではあるけれど、困っているお坊さんを放ってはおけない と、女はその水を僧にお布施しました。するとその僧は「よくぞ子どもにやるはずの貴重な水をくれた。母親にはもっと多くの水を与えよう」と、五鈷で加持す るとそこはたちまち清い流れの川になりました。もちろんこの僧は弘法大師で、そのためこの川を「母川」と呼ぶようになったということです。

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三度栗
第三十七番札所 岩本寺

弘法大師が諸国を巡礼している時のことです。岩本寺 の近くで栗の実を取っている子供たちに出会いました。大師が栗を1個だけ求めると、子供たちは栗を1個差し上げました。栗をもらった大師が「栗三度子のと る実 木も小さくいがもささずに」と歌を詠むと、それから大師の歌の通り栗の木は背が高くならず実も年に3回実るようになったそうで、実際に3回実を付け る栗の木が岩本寺の境内に生えています。また岩本寺には「桜貝」「子安桜」「口なし蛭」「筆草」「尻なし貝」「戸たてずの庄屋」という大師にまつわる伝説 が残されていて、「三度栗」とあわせて岩本寺の七不思議と呼ばれています。

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鯖大師
徳島県海部郡海南町浅川
鯖大師本坊

今の鯖大師本坊がある場所で、弘法大師が修行をしていた時のこと。ある日通りかかった馬子に積み荷の塩鯖を求めましたが、口汚くののしられて断られ てしまいました。馬子がそのまま道を進んでいると突然馬が苦しみ出しました。先ほどの僧が大師だと気づいた馬子は、大師に鯖を差し上げて謝罪し、馬を助け てくれるよう頼みました。大師が加持水を与えると馬は見違えるように元気になりました。さらに八坂八浜の法生島で塩鯖を加持すると生き返って泳いだではな いですか。これ見て仏心に目覚めた馬子はこの地に庵を建てました。鯖を3年断って祈念すると、願い事が叶い、病気が治り、幸せが訪れるという話が広まり、 いつしか「鯖大師」と呼ばれるようになったそうです。

石芋
愛媛県今治市

弘法大師が今治の馬越付近を訪れた時のことです。大師は芋を掘っていた村人に、1つ分けてくれるよう頼みました。しかし村人は「これは食べられる芋ではない」と嘘を言って断ってしまいます。大師が去った後、村人が芋を食べようと煮てみると、芋は本当に石のようになってしまい食べられなくなってしまったということです。この芋は「食わずの芋」「石芋」と呼ばれています。

食わずの梨
第八十四番札所 屋島寺付近

昔々屋島の麓にはたいへんなケチのお爺さんが住んで いました。お爺さんの家の庭には美味しい実がなる大きな梨の木が生えていました。そこを通りかかった弘法大師が喉の渇きに絶えかねて「梨を1つ譲ってくれ ないだろうか」と頼みましたが、お爺さんは「この梨は固くて食べられない」と嘘を言い、大師が何度頼んでも梨をあげませんでした。大師が去った後、お爺さ んが梨を食べようとすると、あの美味しかった梨は全て歯が立たないほど固くなっていたそうです。同様の話は雲辺寺にも伝えられています。

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さか松
第六番札所 安楽寺

弘法大師が大厄の42歳の時、お寺の建立地を探して 今の安楽寺付近を通りかかった時のこと。松林の中で突然薬師如来が現れました。大師が礼拝を捧げていると、1本の矢がこちらへ飛んできました。しかし矢 は、大師の身代わりとなった松の枝に当たり事なきを得ました。矢は近くに住む猟師が、猪大師を猪と間違えて放ったもの。謝罪とともに猪は足の立たない父親 に食べさせるためだと聞いた大師は、薬師如来様のお陰で大厄を逃れることができたと猟師を快く許し彼の家に赴きました。そこで父親のために加持を行うと、 翌朝には歩けるようになったではありませんか。この縁でこの地に建立されたのが安楽寺。この時大師は、矢で折れた松の小枝を厄除けの記念にしたいと、猟師 に枝を逆さに植えさせ「この松が根付いて栄えるのなら、この地を訪れるものは災厄を逃れるだろう」と告げました。その松が境内にある「六番のさか松」だそ うです。

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千手観音になった娘
第十番札所 切幡寺

弘法大師が現在の切幡寺の辺りに到着した際、傷ん だ 衣を直すため機織りの音がする家を訪ねて継ぎ布を求めました。するとそこで機織りをしていた娘は、織っていた布を惜しげもなく切って差し出したのです。大 師は大変喜び「何か願いはないか」と訪ねると、娘は「父母を供養するため千手観音を彫って欲しい」と答えました。感心した大師はその場で千手観音像を刻 み、娘を得度させて灌頂を授けると、娘は即身成仏し千手観音に姿をかえたと言われています。そこで大師はここに堂宇を建立し、得度山切幡寺と名付けまし た。このお寺には本尊の千手観音像が2体ありますが、本堂南面の像が大師が彫ったもの、北面が娘が化身したものと伝わっています。

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衛門三郎伝説
第十二番札所 焼山寺
第五十一番札所 石手寺

昔伊予の国に衛門三郎という強欲な長者がいました。 ある日門前にやってきたみすぼらしい托鉢僧を、衛門三郎は追い払い托鉢を8つに割ってしまいました。ところがその後、衛門三郎の8人の子どもが次々と死ん でしまいます。あの僧が弘法大師であることを悟った衛門三郎は、大師を追って四国巡礼に旅立ちました。しかし何度四国を回っても大師には会えず、ついに焼 山寺で倒れてしまいます。その時大師が現れ「お前の罪は消えた。最後に望みはないか」と問いました。衛門三郎が「生まれ変わって人のために尽くしたい」と 答えると、大師は彼の手に「衛門三郎」と刻んだ石を握らせ、衛門三郎は安心して息を引き取りました。その数年後、伊予の豪族河野息利に男子が産まれました が、なぜか右手を握ったまま開きません。そこで安養寺で願をかけたところ手の中から「衛門三郎」と書かれた石が出てきました。そこでこの石をこの寺へ納 め、寺号も「石手寺」と改めたということです。現在もこの石は石手寺に安置されています。

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足摺の七不思議
第三十八番札所 金剛福寺

第三十八番札所・金剛福寺がある足摺岬には、弘法大 師にまつわる不思議な伝説がいくつも残っています。大師が岩肌に爪で「南無阿弥陀仏」の6文字を彫ったといわれる「弘法大師の爪書き石」、大師が沖にある 不動岩で祈願をした際に背中に乗って海を渡った海亀を呼んだ場所と伝わる「亀呼場」、大師が一夜で鳥居を作らせようとしたが天の邪鬼が邪魔して完成しな かった「大師一夜建立ならずの華表(とりい)」など、内容は様々。これらは総称して「足摺岬の七不思議」と呼ばれています。

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捨身が嶽
第七十三番札所 出釈迦寺

出釈迦寺のある我拝師山は、昔は倭斯濃山(わしの や ま)と呼ばれていました。弘法大師は7歳の時、この山に登り「自分は仏の道に入って多くの人々を救いたい。この願いが叶うのなら釈迦如来よ現れたまえ。も し叶わないのならこの身を諸仏に捧げる」と言って断崖絶壁から身を投げました。すると紫の雲とともに釈迦如来が現れて大師を天女の羽衣で救い、「一生成 仏」の宣を授けました。感激した大師は釈迦如来の像を刻み、山麓に堂宇を建てて出釈迦寺とし、山の名も我拝師山と改めたそうです。大師が身を投げた断崖は 「捨身ヶ嶽」(しゃしんがたけ)と呼ばれ、出釈迦寺の奥の院になっています。

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狐と瀬戸大橋

四国では狐が人を化かしたという伝説はほとんど 残っ てなく、その役割はもっぱら狸が担っているのですが、これには理由があります。ズル賢くイタズラが過ぎて人々を困らせる狐を弘法大師が四国から追い出し、 「鉄の橋が架かるまで帰ってくるな」と命じたというのです。現在は瀬戸大橋が架かっているので、知らない間に狐は四国へ戻ってきているのかも知れませんね。


母川の大ウナギ
徳島県海部郡海陽町

徳島県の海部町にある母川には、天然記念物のオオ ウ ナギが生息しています。昔、母川近くに住んでいた母子が川沿いに行ったところ、突然巨大なオオウナギが現れて母親を丸呑みしてしまいました。残された少女 は、手で川の水を掻き出して干上がらせ、母の仇をとろうとしましたができるはずがありません。来る日も来る日も水を掻いているところへ旅の僧が通りかかり ました。少女から理由を聞いた僧は、呪文を唱えて大岩を出現させオオウナギを封じ込めました。この僧は後の弘法大師だったと伝えられています。

 

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